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【連載】 委員長 往復書簡 (3)

2017年02月14日

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有永浩太さま

こんにちは。寒いですね。能登は岡山よりもっと寒いんだろうと思います。1月に有永さんの「風邪などひかないように」という言葉が届いた日、僕はA型インフルエンザウィルスと一悶着やっておりました。今はすっかり元気です。

お返事を何度も読みました。有永さんが、大学で倉敷に来られてガラスと出合ったこと。縁あって能登島に移り住み、工房を持つに至ったこと。流れに逆らうことなく「のとじま手まつり」の実行委員長を引き受けられたこと。けっして利便性が良いとは言えない場所で、初心どおりガラス作品を作って生計を立て、クラフトフェアを開催し、地域の人を巻き込みながら生活を楽しんでいらっしゃること。素晴らしいなと思いました。

「宮井さんにとってクラフトとは、どんなふうにとらえられているものなのか」、というご質問をいただいていましたね。25歳から不動産屋になった僕は、フィールドオブクラフト倉敷のことすら、会社でクラフトを取り扱いはじめる5年前まで知らなかったような人間です。そんな素人がまず理解したクラフトとは、生み出された物というよりも、物が生み出されるプロセスであり、まさに有永さんが実践されている暮らしそのもの、ではないかと。

クラフトの制作は、プロセスのほぼ全てが個人の手作業でなされています。作り手は自らの技術とセンスを磨き、生まれてきたものをブラッシュアップし続け、自らの手で納得のいく暮らしの道具を作る。それを使い手に見てもらい、共感して買ってもらい、それによって生計を立てる。この一貫して手触りのある暮らしのプロセス全体が、僕にとってのクラフトのイメージとしてあります。それはクラフトとの出会いが、クラフト作家との出会いと同時だったからかもしれません。

日々の営みの中から生み出されるクラフト作品から感じるのは、作り手の意図、配慮、手跡、息づかい、悩み、ゆらぎ、偶然性といったものです。クラフト作品の周りにもやもやと湯気のようにたちこめる意味の世界は、材料、制作方法、道具といったクラフトへの知識を深めることで増し、使っているあいだの関わりの中でも増していきます。そして何よりも、作者本人を知ること。例えば、有永さんと直接話をしながらグラスを買った人は、使うときには必ず有永さんの顔が浮かぶはずです。

クラフト作品と美術工芸、両者が異なる点は、日常生活の中で使うか否かということではないかと思っています。高級料亭やリゾートのような非日常ではなく、よく行く喫茶店や定食屋のような身近な存在、それがクラフト。毎日のように関わった結果として、意味のもやもやをたくさん身にまとった物は、物でありながら親しい人が近くにいるみたいな存在になります。

先のお手紙で、「初めてクラフト作品を買って、買い足して、自分の生活に増えていく中で、今までと違った価値観っていうものが広がっていく」、そうした実感を伝えたい、と有永さんは書かれていました。「今までと違った価値観」とは、そうした物との親密な関係性を大切にしたり、衣食住といった毎日の生活のベーシックな部分の手触りの確かさを大切にするような価値観ではないでしょうか。僕にとってのクラフトのイメージは、そのような物や生活との関わりそのものです。

作り手としての有永さんは、ご自身の暮らしと作品を通して、クラフト的価値観を体現されています。そして、地域の人にクラフトのある暮らしを知ってもらう、能登の暮らしを知ってもらう、そうした価値観を共有する人が地域に増えていったらいいなと思っている。作り手であるだけでなく、伝え手にまでなっていらっしゃいます。

僕は、初めは伝えられる側だったわけですが、「今までと違った価値観」が外から入り込んできた、というよりは、自分の中に眠っていたものをゆすり起こして再発見させてもらったような感覚です。気がついたら伝え手と呼ばれる立場となった今、「クラフトのある暮らしの魅力」を伝えるために、クラフトフェアってどうあればいいだろう? と、ずっと考えています。

先のお手紙で触れられていた、能登の暮らしの実践や紹介、作り手や使い手の話を聞く「のて活動」や、産業として物づくりを続けていらっしゃる方達と関わる取り組みについて、もう少し詳しくお聞かせいただけないでしょうか? フィールド オブ クラフト 倉敷の私たちにとっても、大切なヒントがあるような気がしています。

それではまた。インフルエンザなどに罹患されませんようお過ごしください。
2017年2月 深夜の不動産屋の事務所から
宮井 宏

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